2007年9月17日(月) | (2009年6月20日(土))

困民党首領塩野倉之助之碑

東京都八王子市犬目町1084(安養寺)

困民党首領塩野倉之助之碑

何の説明もなく山門の裏にぬっと立つ碑には、「困民黨首領塩野倉之助之碑」とだけ彫られている。植木に囲まれて碑の裏面を見ることもできず、わかる人だけがわかるという状況が残念だ。

山門

明治14年(1881)に大蔵卿(大蔵大臣)松方正義がとったデフレ政策により、米価、生糸の価格は大きく下落した。これによって、困窮した農民たちが武装蜂起した秩父事件(1884)をはじめ、自由民権運動の影響を受けて多摩地区でも多数の政治運動が起っている。

この碑に彫られた川口困民党は、豪農で村会議員でもあった塩野倉之助が農民たちの訴えを聞いて明治17年に結成したものだ。彼の元には農民たちから負債の返済延期や利子の減免などの交渉を依頼する委任状が集められ、積上げるとその高さは4尺(1.2m)にもなったという。官憲の弾圧によりただちに書類は押収され、200人以上の農民が逮捕拘留された。塩野自身の判決は兇徒嘯衆罪で軽懲役6年であった。

この碑は、橋本義夫らの「地方文化研究会」によって、塩野家の菩提寺であるこの安養寺に昭和29年に建てられたものだ。

(2009年6月20日再訪) : 塩野倉之助屋敷跡 | 困民党の碑(子安神社)