久米川の富士塚
東京都東村山市久米川町5-6-4
江戸時代に流行した富士講が廃れ、多くの富士塚も失われていった。辛うじて残ったものも、幸せな余生を過しているものばかりではなさそうだ。
久米川の富士塚も、宅地開発に押されて独立峰としての形は見る影もない。上から見れば駐車場のわきに盛られた残土の山のようだし、下から見ると、造成途中で投出された土地に雑木が生えたみたいだ。解説板には頂上に石祠が置かれていたとあるが、見つけることはできなかった。山頂に立って見えるのは、まわりを囲む住宅ばかりだ。
前のひろばではお年寄達が集って、楽しそうにゲートボールに興じていた。同じ余生にも、こんなに差があるものかと、少し寂しくなった。