2008年2月17日(日)

東京陸軍航空学校(少年飛行兵学校)跡

東京都武蔵村山市大南3-112(東航正門跡碑) / 3-29-6(揺籃之地碑)

揺籃之地碑

かつての立川飛行場跡である昭和記念公園の北、玉川上水を渡った先に「東航通り」という道がある。通りを北上して行くと、立川市と武蔵村山市の境になる砂川町七丁目交差点に、その名の由来となった東京陸軍航空学校(昭和18年(1943)、東京陸軍少年飛行兵学校と改称)の正門跡地を示す碑が静かに立っていた。

東航正門跡碑

ここから北の大南2〜3丁目一帯にはかつて兵学校があり、終戦によって廃校となるまで、満15歳から17歳までの若者たちが少年飛行兵としての教練をうけていた。なかには特攻隊となって散っていったものもいたことだろう。そんな過去は、ごくごく普通の閑静な住宅地のなかに埋れて、人々の記憶からも消えかけている。

道はやがて大南通に突き当って終る。その丁字路を左へ曲りすぐに右へ折れた住宅地の片隅にもう一つの碑が建っている。「陸軍少年飛行兵 揺籃之地」と彫られたその碑には、プロペラをかたどったレリーフが飾られていた。

(碑文) 東航正門跡碑 | 揺籃之地碑