高句麗若光王陵
埼玉県日高市新堀990(聖天院)
わたしの住む調布市の名前は、古代税制の「調」に納める「布」を産していたことに由来する。その布作りの技術は朝鮮半島からの渡来人によって伝えられたとされ、隣の狛江市の「狛」のもとは高麗(こま・こうらい)だと言われている。
埼玉県南西部の高麗郷(日高市周辺)は、奈良時代の初めに関東一円の渡来人たちが集められて高麗郡が置かれたところだ。
その高麗郡を治めた高麗王若光(こまこきしじゃっこう)の墓(高麗王廟)がある聖天院(しょうでんいん)は大きな山門が印象的だ。両脇には仁王ではなく雷神が控え、「雷門」の大きな提灯が下がっている。
山門をくぐると本殿へ上る階段の前に「ここより有料」と案内があるが、高麗王廟はその手前を右に行ったところにあり、たいていの人は山門、王廟とその先の庭園・高麗殿の池を見て帰って行く。拝観料が設定されているのは、やかましい観光客に宗教の場を荒らされたくないということなのかもしれない。