神田上水懸樋跡
東京都文京区本郷1-2
新宿から東京へ向かう電車の中で「千駄ヶ谷」「四谷」「市ヶ谷」「飯田橋」「水道橋」と続く駅名を聞いても、それを気にとめて、谷川に橋の架かる風景を思い浮かべる人は皆無だろう。「すいどうばし」が「水道場氏」だったとしても、誰も驚かないかもしれない。
水道橋の名は、江戸時代の水道に由来している。現在のJR水道橋駅東口前で神田川に架かる水道橋の下流側には、当時の水道であった神田上水が神田川を渡る橋(懸樋)が架かっていた。現在の江戸川公園のところにあった大洗堰で取水されて神田川から北へ分かれた神田上水は、小石川の大名屋敷などに給水した後、ここで本流を南へ渡り返して神田・日本橋方面を潤していたのだ。
日本最古の都市水道と言われ、玉川上水と共に江戸・東京市民の生活を支えた神田上水も今はなく、水道橋の名も単なる記号になってしまった。神田上水懸樋跡に建てられた記念碑も、人通りの少ない一角にあってなんだか寂しそうだ。