大詔奉戴記念碑
東京都中野区中野3-19-2付近
阿佐ヶ谷から中央線の南側をまっすぐに神田川まで伸びる桃園川緑道を走って行く途中、昼飯を食べる所を探して杉並と中野の区境近くから住宅街に迷い込んだ。中野駅への近道を探したつもりだったのだが、道はあちこちで突き当たって、目当ての繁華街は気配もない。
キョロキョロとして覗いた路地の奥に「國威宣揚」と彫られた大きな石碑を見つけた。周囲には何の説明もないけれど、碑の側面には「昭和十八年十二月八日大詔奉戴記念日」「桃園子寶會建之」とある。
建碑の2年前の昭和16年(1941)12月8日は、真珠湾攻撃によって日本が大東亜戦争(第二次世界大戦)を始めた日。天皇による宣戦布告(宣戦の詔勅)が発せられたことを受けて、戦時中は12月8日だけではなく毎月8日が大詔奉戴(天皇の言葉をありがたく戴く)日と定められていたそうだ。当時小学生だったわたしの母は、その日は天皇皇后の写真(御真影)が収められた奉安殿の前に小さい前ならえをして整列させられたことを覚えているという。
碑文の脇には「陸軍大将 男爵 本庄繁謹書」と添え書きがある。本庄繁は昭和6年(1931)の満州事変の時の関東軍司令官だった人だ。どういういわれでこの碑がここに建てられそして今も残されているのか、何とも気になる。