東京オリンピック大会クレー射撃会場の地
埼玉県所沢市南永井222付近
オリンピック競技の中でも、射撃は日本人には影の薄い競技だ。銃刀法の関係で競技人口が少ないのもさることながら、走ったり跳んだりしないのでスポーツという感じがしないことも一因ではないだろうか。もっとも英語の"sports"にはチェスやダーツも含まれているというから、われわれのイメージする「運動競技」とは随分とイメージが違う。
銃に関係のある自衛隊員や警察官が選手になることが多いように思われるけれど、第21回モントリオールオリンピック(1976)では先の宰相麻生太郎氏が日本代表としてクレー射撃に出場したことがあるそうだ。まぁ、どちらにしても一般人には縁の遠いことに変わりはない。
東川の柳瀬橋の南北に伸びる道路には「オリンピック道路」という名前がついている。その中ほど、やなせ荘入口交差点の脇に、名前の由来となった東京オリンピック大会クレー射撃会場跡の記念碑が建っていた。
「五輪之和」と刻された碑の後ろには広い畑が広がっている。ここにあのフリスビーのような的(クレーピジョン)を飛ばして撃ったのかと思ったが、それでは絵的にかなりプリミティブな感じがする。オリンピック道路を挟んで碑に向い合った側には物流倉庫などの大きな施設が建ち並んでおり、どうやらこっちが競技施設の跡地であるようだ。