2019年5月10日(金)

迷子郵便供養塔

長野県長野市大字長野元善町491 善光寺境内

迷子郵便供養塔

針供養や人形供養など、毎日使ってきた道具や大切にしてきたものを処分する時、昔の人は人とお別れする時と同じように「供養」というお別れの儀式を行っていた。物にも魂、あるいは神様が宿っているので、粗末に扱ってはならないという考えだ。

モノがあふれる現代社会では、処分するものが多すぎていちいち供養をしていてはきりがない、とはいえ、ものによってはポイとゴミ箱に入れるのは憚られる気がする。例えば手紙、人形、正月飾りやお守りなど。昔々、ラブレターを庭で焼いたほろ苦い思い出が、あなたにもあるでしょう?

善光寺境内の一番奥、北門の脇に生け花を供養する花霊碑と並んで建っている「迷子郵便供養塔」は、大切な手紙を供養するものではあるけれど、ほかの供養碑とは少し性格が違っている。

趣旨としては、家族の音信や愛の言葉など、大切な伝言を託されながらも役目を全うできず行き倒れてしまった郵便の働きを称え、未遂に終わった任務、届かなかった思いを弔う。そんな感じだろうか。実際、石碑の下には焼却処分された郵便物の遺灰が納められているそうだ。

通信手段の主流が郵便から電話やメール、SNSなどに移った今、迷子郵便のほとんどは、迷子になることも想定内でばらまかれたダイレクトメールなどではないかと推測される。そこに供養すべきほどの尊い思いは込められてはいないだろう。

供養碑はもう、役目を終えてしまったかもしれない。

説明板 と 碑文