嗚呼特殊潜航艇の碑
広島県呉市音戸町波多見3-17-23 八幡山神社
なんだかお尻がふにゃふにゃすると思って調べてみると、後輪の空気が指で押して凹むほど減っていた。空気を入れると、すぐには抜けず堅い状態に戻る。空気の入れ忘れか、パンクか。98%パンクが疑われるが、走れそうなのでそのまま行くことにした。
停まったところは大きな神社(八幡山神社)の前。「嗚呼特殊潜航艇の碑」と書かれた案内があったので、ついでに寄って見ることにした。
神社の前の大浦崎にはかつてP基地と呼ばれる大日本帝国海軍の秘密基地があったという。参道の階段脇に建つ石碑の説明によれば、ここで製造された特殊潜航艇(小型潜水艇)は、真珠湾攻撃をはじめとする数々の作戦で成果を上げたというが、その構造上、作戦は特攻の色合いが強く戦死者も多かったと想像される。建碑の記には「三百余柱」とあったが、転戦の地図を記した説明板には「440余柱の霊をここに祀る」と記されていた。
神社に参拝に上がってみると、高台にある境内の北側の斜面がブルーシートで覆われていた。去年(2018年7月)の西日本豪雨で玉垣と拝殿横の森およそ3分の1が土砂と共に崩落したのだという。1年を経ても復旧できない状況に胸が痛む。
絵馬堂には軍人や戦艦の絵馬額に混じって、音戸大橋ができる前の音戸の瀬戸を描いた絵馬額が掲げられていた。
何も無いかと思っていた倉橋島での思わぬ出会い。パンクに感謝(?)するべきか。
※ 後輪は確かにパンクしていましたが、結局その後、特段の修理はせず、2回ほど空気を入れ直して完走してしまいました