明治維新と御手洗
広島県呉市豊町御手洗
明治維新の立役者といえば薩長といわれる薩摩藩と長州藩。それに坂本龍馬のいた土佐藩を加えて薩長土ということもあるが、広島藩の話は寡聞にして聞いたことがなかった。
御手洗には幕末当時の遺跡がいくつか残っている。今回それを目にして、今まで知らなかった広島藩の姿が見えてきた。
右の写真は薩摩藩の船宿であった「脇屋家住宅」。御手洗は広島藩と薩摩藩の密貿易の舞台でもあったという。七卿落遺跡(左写真)の説明板にはオランダ人も武器の密売に関わっていたと記されている。
港町繁栄の象徴として紹介される茶屋・若胡子屋跡の斜向かいにある旧金子家住宅は、長州藩と広島藩が討幕のために京都へ上る途中、ここで合議をして条約(御手洗条約)を結んだ場所。説明板には、直接は関係ないと思われるが、御手洗を訪れた志士の一人として坂本龍馬の似顔絵が書かれていた。
交通の要衝である御手洗は、歴史の交差点でもあったのだ。
(説明): 七卿落遺跡(竹原屋) | 元薩摩藩船宿・脇屋家住宅 | 旧金子家住宅 | 星野文平の碑 || 若胡子屋跡