京浜急行電鉄発祥の地
神奈川県川崎市川崎区大師駅前1-18-1 川崎大師駅前
わたしが学生時代の京急の終点(両端)は「三崎口」と「押上」だった。
三浦半島の南端にある「三崎口」は、京急久里浜線の終着駅だが、「押上」は相互乗り入れしている都営浅草線(地下鉄)の終点だ。それが今では北総鉄道・京成電鉄とも繋がって、「印旛日本医大」「成田空港」まで行くようになった。
相互乗り入れとは言え一都二県を跨ぎ、特急でも3時間近くを要する長大路線になった京急だが、その始まりは川崎大師参詣のために川崎(後の六郷橋駅、昭和24年(1949)廃止)〜大師(現在の川崎大師駅)間に開業した、わずか2qほどの大師電気鉄道(現在の京急大師線の一部)だった。電気鉄道会社としては日本で三番目、関東では最初に走った電車になる。
その歴史の記憶をとどめる記念碑が川崎大師駅前に建っている。
最近、京急のマスコットキャラクター・けいきゅんの像も追加された。説明書きによると作者はチェンソーカービング(チェーンソーアート)を主に手掛けるアーティストらしいのだが、一見銅像のようにも見えるこれも、そんな荒々しいやり方で作られたものなのだとしたらビックリだ。
赤い柱が印象的な川崎大師駅は、昭和31年(1956)に利用者の増加に備えて木造から鉄筋コンクリート造に改築されたものだ。川崎大師は、毎年300万人以上の人が初詣に訪れ、明治神宮、成田山新勝寺と共に参詣者数で全国一二を争う人気スポットだ。駅の大きさには不釣り合いなほどに広い駅前広場が、その賑わいの凄さを物語っている。