2021年11月11日(水)

円谷幸吉メモリアルパーク

福島県須賀川市大町299

円谷幸吉メモリアルパーク

ウルトラマン三昧の一日を過ごした昨日の夜、なにか見落としているものは無いかと思い返していて、ハタと思い出した。

もう一人の円谷、1964年の東京オリンピックで陸上競技唯一のメダルをとったマラソンの円谷幸吉選手も須賀川市の出身だった。

顕彰碑

今年は東京2020大会があったオリンピックイヤーだったのに、なぜか円谷選手は影が薄い気がする。まさか、コロナ禍でのオリンピック開催反対の立場からアピールを控えているとも思えないが…。

銅メダリストだった彼はその成績よりも、次のメキシコオリンピックでの活躍を期待されながら、その重圧に苦しんで命を絶った悲劇のヒーローとして記憶されているかもしれない。「父上様母上様 三日とろろ美味しうございました。」という一文から始まる彼の遺書を憶えている人も多いのではないだろうか。

国威発揚のため、国を背負って戦うことを期待された時代。たとえば、東洋の魔女を育て上げてバレーボール女子を金メダルに導いた鬼の大松(大松博文監督)をパワハラだなんて言う人は誰もいなかった。

今は競技を楽しむ時代だ。金メダルを取って「チョー気持ちいい」と言ったり、競技の合間にもぐもぐとおやつを食べ、アニメの話をする様子が紹介されたりする。

誰かが「もっと気を楽にして、試合を楽しめよ」と円谷選手に言ってあげていたら…と思うけれど、世の中がそうなるまでには随分と時間がかかってしまった。

円谷幸吉の歩み | 東京オリンピックと円谷幸吉(物語ボックス 15)