2022年6月1日(水)

真鶴台場の遺跡

神奈川県足柄下郡真鶴町真鶴1175

礎石

真鶴半島の突端、真鶴岬の展望台から三ツ石海岸へ下りる道の下り口の脇に小さな石碑が建っている。碑文には「幕末の台場の遺跡」と刻まれており、隣にある礎石のようなものがその遺跡の一部であるらしい。

碑

江戸時代の末期に、外国船を排除するための砲台がここに築かれたのだという。ここに来る途中、しとどの窟のところで見て来た品川台場礎石の碑に記されていた年表には天保9年(1838)のことだとあった。

砲台跡から見る海は茫洋として果てしがない。当時の大砲の射程距離がどのくらいあったのかはわからないが、直接真鶴をめがけてくる船はともかく、江戸を目指して沖を行く船に効果があったかどうかは疑わしい。砲台設置の動機となった外国船打払令(異国船打払令)は天保13年(1842)に廃止されたので、あまり活躍することはなかっただろうと思われる。

ペリーの浦賀来航はその15年後の嘉永6年(1853)。人々がその巨躯に驚いた黒船の船影は、ここからも見えたのだろうか。

碑 文 | 品川台場礎石の碑