和田義盛の碑 / 和田城址
(碑) 神奈川県三浦市初声町和田2591
(城址) 神奈川県三浦市初声町和田3037
昔から、江ノ電で鎌倉から一つ目の駅「和田塚」が気になっていた。
鎌倉時代の権力争いに敗れた武士の墓があるらしいとは聞いていたが、あえて調べることもなく、訪ねてみることもないままに長い月日が過ぎてしまった。
その「和田」の名に、思いがけず出会った。
三浦市初声町の小字「和田」がその和田氏の住んでいた地なのだそうだ。国道134号和田の交差点を西に折れたところにある八雲神社の境内に、和田義盛の碑が建っている。また、神社裏の台地の上には和田城址の碑もあった。
添えられた説明板によると、和田義盛は源頼朝による鎌倉幕府創建の立役者として功績をあげ、幕府の侍所別当に任ぜられた有力者だった。しかし、その後の権力争いで北条義時に敗れ歴史の舞台から姿を消したのだという。
鎌倉幕府を打ち立てた源頼朝の死後、北条義時が執権政治を確立させるまで、幕府内では激しい権力抗争が繰り広げられた。和田義盛や畠山重忠、比企能員、梶原景時らが討たれ、ついには三代将軍源実朝までも暗殺されることになる。
それは戦国時代の国盗り物語に比べれば世界が狭いというか、やくざやマフィアの抗争にも似た内輪もめのようなものだったので、今まで大きく取り上げられることも少なかったように思う。それでもこうして碑を建て語り伝えようとする人たちがいるということに、一筋縄ではない歴史の深さを感じる。