ヤン・ヨーステン記念碑
東京都中央区京橋1-1 八重洲通り中央分離帯
東京駅八重洲口の「八重洲」という地名がヤン・ヨーステンという人の名前に由来していることは、小学校の頃に覚えた豆知識のひとつだ。ところが、そのヤン・ヨーステンが誰だかわからないまま大人になってしまった。
今日はたまたま八重洲口駅前を通ったので、彼について学ぶべく、アーティゾン美術館の近く平和の鐘の足元にあるヤン・ヨーステン記念碑を見てきた。
ヤン・ヨーステンはのちに三浦按針を名乗ることになるウィリアム・アダムスと共に日本に漂着したオランダ人で、徳川家康の外交顧問として働いた人だそうだ。彼の屋敷が江戸城のお堀端にあったことから、その地が彼の日本名「耶楊子(やようす)」にちなんで八代洲河岸と呼ばれるようになり、転じて八重洲となったという。
ん?お堀端?ということは丸の内の方が八重洲だということではないか!?
実際明治時代には、現在の丸の内に八重洲という地名があったという。初めて知った衝撃の事実!それがどうして東京駅東側の地名になったのか。それはまだ(私には)謎のままだ。
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