鶴 ヶ 城
福島県会津若松市追手町1-1 鶴ヶ城城址公園
鶴ヶ城と聞いてまず思い浮かべるのは、明治の初めに撮られた古写真に写る姿だ。会津戦争で官軍の猛攻に耐え落城せずに残ったとはいえ、傷だらけのその姿は痛々しく、会津の人たちの無念を思って余りある。
その時の城は明治7年(1874)に石垣を残して解体され、昭和40年(1965)に再建された。当初の黒瓦を平成23年(2011)に赤瓦に葺き替え、解体以前と同じ姿に戻った。
わたしは訪問するまで「会津城」だと思っていたのだが、公式名称は「若松城」。ただし地元では「鶴ヶ城」と呼ぶのが通例であるらしい。城址公園の名前や観光パンフレット等の資料はみな「鶴ヶ城」となっている。
「若松城」を名乗っているのは「若松城天守閣郷土博物館」だけだ。
期待していた桜(ソメイヨシノ)はもう終わりかけていたけれど、千利休の子・小庵が造ったという茶室・麟閣の枝垂れ桜がちょうど見頃で観光客が撮影に群がっていた。海外からの人の姿も多く、コロナ後の観光景気は戻りつつあるようだ。