教師と子どもの碑
広島県広島市中区中島町1-5 広島国際会議場前
女性教師は哭いていた。
傷ついた教え子を抱き、おそらく自らも被爆しているのだろう。その悲しみと絶望に満ちた表情で空を見上げている。
当時の広島では、多くの児童は空襲を避けるため田舎へ疎開していたが、幼いため親元に残された児童と、建物疎開作業に従事した高等科(現在の中学校)の生徒が原爆の犠牲になった。
その数は生徒約2,000人、教師約200人とされているが、詳しい数はわかっていない。
像の作者は彫刻家の芥川永(ひさし)。原爆歌人正田篠枝の短歌が添えられている。
広島には毎年、修学旅行などで全国から多くの教師と学生たちが訪れる。彼らにとって「教師と子ども」が身近な存在として記憶に残り、平和を願う心が育まれることを願っている。