似島検疫所(似島臨時野戦病院)跡
広島県広島市南区似島町東大谷3073-5 広島平和養老館
何もない島の北側を回って東側の長谷地区に入る手前の海側に、唐突に煉瓦造りの煙突が現れた。煙突越しに見えるのは古い煉瓦造りの桟橋が二本。ここは明治28年(1895)に造られた似島検疫所(第一)の跡だ。
日清戦争で外地に出兵した兵士がコレラなどの疫病を国内に持ち込むのを防ぐために設けられたもので、日露戦争中の明治38年(1905)には東大谷地区に第二検疫所、昭和15年(1940)にはその南側に軍馬用の馬匹検疫所が設置された。
広島に原爆が投下された際には、検疫所が臨時の野戦病院となって多くの被爆者たちが運び込まれてきた。しかしその多くは看護の甲斐なく亡くなり、検疫所の焼却炉などで火葬にされたという。あまりにも数が多かったために火葬が間に合わず、仮埋葬された人の骨が戦後の発掘で見つかっている。
戦後、第一検疫所跡には原爆・戦災孤児のための施設(現・似島学園)、第二検疫所跡には原爆で家族や親戚を失った老人のための施設(現・広島平和養老館)が建てられた。
戦争関連遺跡の詳細については、フェリー乗り場などで入手できる島のガイドマップに詳しい。ボランティアガイドによる平和学習ツアーもあるようだが、現地の案内や説明板の類は少なく、平和資料館は事前の予約がないと見学できない。
それがちょっと残念だった。
原爆被爆者診療の地(似島臨時野戦病院) | 宇品停車場のプラットホーム敷石の碑