宇喜多秀家と豪姫
東京都八丈島八丈町大賀郷8315-1 南原千畳敷
連日、危険な暑さが続いている。今日も熱中症警戒アラートが出ているに違いない。「不要不急の外出は避け、屋外でのスポーツはやめましょう」、と言われているのにサイクリングなんかしているバカものはわたしだけだろう。
それでも登龍峠に上り逢坂橋を駆け下る今日前半の行程は、適度に日陰もある山道だった。
それが、八重根港を過ぎて海辺の道になったところで灼熱の太陽に焼かれる酷道になった。
黒々とした溶岩原が広がる南原千畳敷周辺は、まだマグマが冷えきらずに熱を発しているのではないかと思うぐらい暑い。たまらず、日陰を求めてバーベキュー場のあずまやに逃げ込んだ。
ここには関ケ原の合戦に敗れて島に流された宇喜多秀家と、国元に残された妻豪姫の像が建っている。
八丈富士が噴火したのは、秀家とその家臣たちが配流となった前年(1605)のことだった。遠島になっただけでもつらいのに、さらに噴火の被害によって荒れた島の光景をみて、彼らが感じたであろう絶望感は想像に余りある。故郷岡山の地を思って静かに海を見つめる彼らの像の前に広がる荒涼とした景色は、まさにあの日の風景でもあったのだろう。
400年近い時を隔てて再会した二人は今、どんな話をしているのだろうか。