サスケハナ号
(マンホール)静岡県下田市東本郷1-5-2 下田時計台フロント前
下田市のマンホールにはペリー艦隊の蒸気船がデザインされている。たくさんの帆が張られて帆船のように見えるが、中央にそびえる煙突からは煙がたなびき、その下には下田市の市章が重ねて描かれた外輪がまわっている。
黒船来航として知られる嘉永6年(1853)のペリー艦隊の来航は浦賀だったが、その翌年に締結された日米和親条約によって最初に開港されたのは下田港だった。安政3年(1856)には玉泉寺にアメリカ総領事館が開かれ、安政6年(1859)の横浜開港まで下田は幕末の外交の中心地として歴史に名を遺す。
伊豆急下田駅前にはペリーが浦賀に来航した際に乗船していたサスケハナ号の模型が置かれている。翌年下田に来航した際に乗ってきたのは別のポーハタン号だが、その名はあまり知られていない。吉田松陰が海外渡航を企てて乗船しようとしたのは、このポーハタン号だった。
ちなみに、日本語の「佐助・花」のように聞こえるサスケハナは主にペンシルベニア州を流れるサスケハナ川から取られた船名で、インディアン(ネイティブ・アメリカン)の言葉で「広く深い川」を意味する。ポーハタンはインディアンの酋長ポウハタンに由来していて、ディズニー映画にもなったポカホンタスは彼の娘だそうだ。