吾輩は子猫である
東京都千代田区神田猿楽町1-1-1 千代田区立お茶の水小学校前
「吾輩は猫である。名前はまだ無い。」
この一節を聞いて夏目漱石の小説の冒頭だとわかる人は、今どのくらいいるのだろうか。学校で習っているから誰でも知っているに決まっていると思うのは古い人で、今の人は漱石なんて読まない気がする。
書き出しがすぐに思い浮かぶ小説がいくつかある。川端康成「雪国」、島崎藤村「夜明け前」、太宰治「走れメロス」、梶井基次郎「桜の樹の下には」など。漱石では「草枕」や「坊ちゃん」なども記憶に残っている。
冒頭でなくても、例えば「富士には月見草がよく似合ふ」(太宰治「富嶽百景」)のように印象的な一節が記憶される小説もいくつかある。
最近の小説でそういうのが思い浮かばないのは、わたしが新しい本を読んでいないからなのか。それとも、最近はそういう書き方をしないからなのか。
そんなことを考えながら、夏目漱石の母校前に建つ碑とマンホール(正確にはハンドホールという通信配線用のマンホール)を見てきた。夏目漱石はお茶の水小学校の前身である錦華小学校の卒業生なのだ。
原稿用紙に見立てた長方形の蓋の上で、NTTマークの毬と子猫が戯れている。「吾輩は猫である」の猫を子猫(※)にして、小学生だったころの漱石のイメージを重ねたデザインなのだそうだ。
※ 原作の吾輩は黒猫ではなく「波斯(ペルシャ)産の猫のごとく黄を含める淡灰色に漆のごとき斑入の皮膚を有している」と書かれている