練馬区独立記念碑
東京都練馬区桜台2-18-1
「独立記念碑」とはものものしい。
欧米の植民地だったアジアやアフリカの国々が宗主国から独立したとか、特権階級に搾取されてきた民衆が蜂起しその支配下から独立して民主国家を樹立した、とか言う時の「独立」だ。
昭和18年(1943)に東京都が誕生した時、旧東京市域には35の区があった。それが昭和22年(1947)3月15日に再編されて22区になった当初、練馬区域は板橋区に所属していた。
現在の練馬区の面積は23区で5番目に広い48.08km2。板橋区と一緒だったころは更に広く、都内でも断トツで大きな区だったわけだ。板橋区役所は今と同じ場所にあったので練馬の人たちは役所が遠くて不便を感じたという。
その改善を求めて運動をした結果、同年8月1日に練馬区は板橋区から分離して23番目の区になった。しかし「練馬区役所発祥の地」と書かれたこの場所は区内でもかなり南東寄りで、板橋区との境に近い。現在の区役所もこの近くにある。
板橋区役所が遠いと文句を言ったのに、なぜ区の中心とは言い難い場所に区役所を置いたのだろう。板橋区からの分離をあえて「独立」と言う練馬区民の心の内にはどんな思いがあったのだろうか。いろいろと疑問が湧いてくる記念の地だった。