那珂湊反射炉跡
茨城県ひたちなか市栄町1-10 あづまが丘公園
反射炉は金属融解炉の一種だ。それだけ聞けば産業遺産(近代化遺産)として歴史に思いを馳せ、先人のたゆまぬ探求と努力による技術の進歩に感嘆するところだけれど、ちょっとだけ引っかかるものを感じてしまう。
それは、反射炉の建設がどれも「攘夷のための武器鋳造のため」と説明されることが多いからだ。
有名な韮山反射炉はお台場の築造にも関わった韮山代官江川英龍が鉄砲を鋳造するために築造したと伝えられており、この那珂湊反射炉も水戸藩主徳川斉昭が大砲鋳造のために建設したものだ。
産業の進歩と軍備増強が密接な関係にあることは言わずもがなではあるけれど、なんとなくオブラートに包まれてはっきりとは言及されないものだ。それが「反射炉」では必ず軍備のためという説明がついてくる。大砲の模型も展示されている。
子どもの頃、明治の歴史を学ぶ中で「文明開化」と並んで「富国強兵」という言葉を教わり、深く考えもせずに受け入れていたけれど、おとなになってみるとそのきな臭さにぞっとする。鉄も、原子力も、インターネットも皆、元は軍事力のために開発されたものだ。現在は平和利用されている技術が、いつまた戦争のために使われるようにならないとも限らないと思うと恐ろしい。
長崎の原爆で失われた浦上天主堂に似たツインタワーの反射炉を見上げて、そんなことをあらためて思った。