2011年8月1日(月)

佐藤塚

東京都青梅市成木8-965-7

檜

事前の調べで、北小曽木川沿いの道が軍畑方面と名栗方面に分岐する所には、青梅市教育委員会の説明板が立っていると言うことだった。てっきり傍らの檜の古木についてのものだと思って行ってみると、「佐藤塚」という意外な名前を見つけて驚いた。

五輪塔

説明に寄れば、ここは青梅における石灰産業史の黎明期に名を残す佐藤助十郎の塚(墓所?)なのだという。檜の方は、確かによく目立つ大木ではあるけれど、奥多摩の森の中ではそれほど珍しいものではないということのようだ。

佐藤氏は天正十八年(1590)に落城した八王子城の落ち武者だったと伝えられている。石灰石は白壁の材料として江戸城普請に重用されたというから、豊臣に討たれた北条家の家臣が、その豊臣を滅ぼした徳川幕府の起ち上げに貢献したことになろうか。五輪塔に記されていると言う正保二年(1645)の年号が佐藤氏の没年なのかどうかは判然としないが、そうだとすれば7〜80歳まで長らえて徳川幕府の最盛期を見届けて亡くなったことになる。その胸のうちには、どんな思いが去来していたのだろうか。

その佐藤助十郎が掘り始めたものなのかどうか、この手前には奥多摩工業の巨大な採石場がある。

(青梅市教育委員会の説明板) : 佐藤塚 | 石灰石採掘場跡