神奈川県庁の測定石
東京都国立市谷保2864先
矢川が府中用水に合流する矢川おんだし付近の畑のなかに、ポツンと正体不明の石柱が立っている。正面には「神奈川県庁の測定石」と彫られているけれど、「測定石」ってなんだろう。そもそもなんで神奈川県?
明治維新による廃藩置県後しばらく、現在の多摩地区(北多摩郡、南多摩郡、西多摩郡)は神奈川県の管轄だった。この石柱はその頃の名残で、現物はくにたち郷土文化館に保存されている。
多摩地区が東京府に編入されたのは明治26年(1893)。これに先立つ明治19年(1886)に西多摩郡長淵村(現青梅市)でコレラ患者の汚物を多摩川で洗濯したことが判明したことがきっかけとなり、首都東京の水道事業を整備するに際し、水源となる多摩地区が管轄外では都合が悪いということで編入が決定されたそうだ。
多摩地区が神奈川県であったのは20年余りの短い期間ではあるけれど、「神奈川縣」の字が見られる古い石碑や石仏は、多摩地区のところどころに残っている。運良く出会えると、ロールプレイングゲームで秘密のお宝を見つけたように、ちょっと得した気分になってしまう。