榎本武揚像
東京都墨田区堤通2-26-3(梅若公園)
手元に「城攻め物語」という小冊子がある。小学校の時に定期購読していた学研の「学習」の付録で、「6年の学習 夏休み特別号 第2学習教材」と書かれている。楠正成が守った千早城から幕末最後の攻防となった五稜郭まで、7つの城を巡る歴史物語と城に関する豆知識が掲載されており、わたしの大河ドラマ的歴史知識は、ほとんどこの本が基本になっていると言っても過言ではない。
城攻め物語の最後は、函館の弁天崎砲台らしきところで杖を片手に海に向かって佇む榎本武揚の挿絵と、「城取合戦は、もうこれからの戦争のやりかたではない…。」という彼の言葉で終わっている。これが、子供心に引っかかっていた。
最後まで抵抗した幕府軍の長の一人でありながら、なぜ、彼は明治時代をも生き延びてしたり顔でこんなことを言っているのだろう、と。かの福沢諭吉も、大意として「優秀な人であることは認めるが、彼に従い、彼のために死んでいった部下たちは、新政府に登用された彼に対して不満を述べるだろう。(瘠我慢の説)」と言っている。
大正2年(1913)に建てられた榎本武揚像の視線の先は、江戸での最後の戦場となった上野の山に向けられている。この闘いで彰義隊はほぼ全滅、わずかな残党とその他の幕臣を8隻の軍艦に載せて榎本は函館に向かった。彼の胸には今、どんな思いが去来しているのだろうか。