霞堤
東京都昭島市拝島町5-12付近
小学校の頃、武田信玄が築いたとされる「信玄堤」について学んだ時には、凄いことを考える人がいるもんだと感心した。水害を防ぐために真っ向から対決するのではなく、うまくやり過ごして被害の程度を抑え、それを次につなげるという発想は戦国武将としての彼の戦略にも通じているのかもしれない。
その信玄堤と同じ構造をした堤防の遺構が、昭和用水堰の下流側に残っている。一般には「霞堤」と呼ばれ、地元では「食い違い」と呼ぶと昭島市のHPに解説があった。
土手に切れ込みを入れて二重にすることによって、洪水の際にはここから水を逃がして堤防の決壊を防ぐと共に、川が運んできた肥沃な土砂を農地に呼び込むことができる。切れ込みは川の流れに対してV字になっているから、浸水する水の勢いを弱め、排水を速やかにする効果があるという。
この付近を通る国道16号は、千人同心街道とも言われ、甲斐武田家の遺臣を中心に組織された八王子千人同心が日光勤番のために利用した道だ。信玄堤の技術は、彼らを通じて伝えられたものだろうか。