電車開通記念碑
東京都国分寺市本多2-2
JR中央線の前身にあたる甲武鉄道は、当初、甲州街道沿いに敷設されるはずだった。しかし、蒸気機関車の吐く煙を嫌った府中・調布の住民に反対されて、はるか北を走る現在の路線になったという。
その中央線の電化は明治37年(1904)の飯田町−中野間に始まり、大正11年(1922)には国分寺まで電化区間が延びた。この碑はそれを記念して建てられたものだ。
電化の記念なら駅前に建てたら良かろうに、なぜか駅から北に500mほど行った商店街の裏道の傍に建てられている。
碑の表には「電車開通 札之丘十五年 記念道路碑」、裏には「大正十一年十一月二十一日 国分寺お札之丘」と彫られている。「札之丘」というのはこの辺の昔の町名だったらしい。表通りの商店街「札ノ丘商店会」にその名が残っている。
「記念道路碑」ということは、電化の記念ではなく、電化を機会に道路を造った記念ということだろうか。それなら駅前にない理由も何となくわかる。碑の前の細道がその道なのだろうか。しかし、併記されている「札之丘十五年」はなんだろう。碑文には何も書かれておらず、補足する説明板の類も立てられていない。
碑の裏には雑草に覆われた空き地が広がっている。いずれ再開発の際に、その謎と共に碑が無くなってしまわないか、それが心配だ。