2013年5月21日(火)

矢喰村庚申塚

千葉県松戸市下矢切299付近

庚申塔

わたしは昭和58年(1983)のヒット曲「矢切の渡し」で初めて「矢切」の名を知ったので「やぎり」と疑いもなく呼んでいたが、正式には「やきり」が正しい。地図の英語表記を見ると地名も学校などの名前も"yakiri"と表記されているが、平成3年(1991)に開業した北総線の駅名だけは"yagiri"となっていた。

庚申塚

野菊の墓の文学碑から松戸街道へ戻る途中、矢切神社向かいの角に新旧雑多な庚申塔や石仏、祈念碑などが集められた一角がある。ここに設けられた由来記によれば、「矢喰(やぐい)」という表記もあるらしい。おそらく「谷が切れ込んでいる(喰い込んでいる)」と言うことからそう呼ばれてきたのではないかと推測されるが、由来記では平和を願って「矢が切れる(無くなる)」「矢を喰う(無くす)」説を挙げている。

集められた石仏は江戸時代の庚申塔から昭和になって建てられたかえるに乗ったお地蔵様(安全かえる)まで様々だが、共通しているのはどれも日々の暮らしの平和と安全を願っていること。本来の由来がどうであれ、人々が平和への願いをその名に込めてきたことが、「矢切」の地名が永く残されてきた理由なのかもしれない。

矢喰村庚申塚の由来 | 寛文八年銘 庚申塔