2013年9月18日(水)

糧秣廠馬糧倉庫

東京都世田谷区池尻2-23-4

境界石

「腹が減っては戦ができぬ」

池尻にある東京栄養食糧専門学校の前身は、昭和14年(1939)に当時の陸軍省・内務省・農林省の国策により本郷に開校した食糧学校だ。

倉庫

現在地にはかつて、周辺の軍施設の兵士や兵馬に食糧を供給するための糧秣廠があり、その縁で戦後ここに移転してきた。東側に隣接する生協と宅急便の倉庫は、戦時中の馬糧倉庫がそのまま使用されている。外装はきれいになっているけれど、内部の鉄骨組などは当時から変わっていないようだ。

学校の北西の角には「陸軍用地」と彫られた境界石が残されている。その隣の墓地の壁が壊れて、昭和15年に出征し、翌年中国で戦死した陸軍兵士の来歴が残された大きな墓石が顔を覗かせていた。

その前を、専門学校の学生たちが笑いさざめきながら歩いていく。ここに軍関係の施設があった事も、もしかしたら戦争があった事すらも知らないかもしれない若者たちの屈託のない笑顔。この笑顔が陰る事のない平和な時代が続くようにと願わずにはいられない。