不忘の碑
東京都調布市西つつじヶ丘2-30-1 延浄寺
たとえば電話をかけて名乗る時、仕事なら「○○会社の」とか「営業の」などと自分の名前の前に冠をつけるところだが、個人の用件の時に名前だけにするとなんだか居心地が悪い。それで、「東京の」とか「先日お会いした」とか付けなくてもいい前振りをしてしまう。
TVなどのニュースで犯罪の容疑者が紹介される時も、「会社役員の」とか「工員の」などと呼ばれることが多い。今までは聞き流していたのだが、ある日のニュースの「中国残留孤児二世の○○容疑者」という表現に引っ掛かるものがあった。
戦後数十年を経て日本に帰国した中国残留孤児やその家族には、帰ってきてはみたものの、言葉も生活習慣も違う日本の生活になじめず苦労をしている人が少なくないと聞く。「そんな人たちだから犯罪に手を染めるのも無理はない、まったく困ったモンだ」みたいなニュアンスがニュースの表現のなかに感じられたのだ。そうしてみるとほかの言い方にも、「会社役員だから脱税もするだろう」、「工員は自動車の運転も乱暴に違いない」みたいな偏見というか決めつけが感じられる。それって、どうなんだろう。
会社役員や工員がどんな人かはともかく、中国残留孤児について改めて考えてみるために「不忘の碑」を訪ねてきた。私自身、事実を正しく理解しているという自信はないけれど、忘れないようにしよう、という思いだけは無くさないようにしていきたい。