慈雲の泉
東京都台東区浅草2-3-1 浅草寺
浅草寺裏の花やしきの方から入ってきたので、最初に目に入ってきたのはきれいなつつじの植え込みとその中に埋もれるように建っている由来碑だった。碑文に寄れば彫塑家朝倉文夫の「雲」と名付けられた作品が飾られているという。目を上げてみると、なにやらもこもことした、粘土の塊のようなものが台の上に載っていた。
なるほど、もくもくと湧き上がる夏雲かと思ったら、なんと押しくらまんじゅうをしている裸の群像。しかも、こちらは後ろ側なので、見えていたのは彼らのお尻だった。てっきりこちらが正面かと思って像の正体をあれこれ考えていたのだが、まさかお尻が並んでいるとは夢にも思わなかった。
雲に乗った人たちがそろって凝視する先に聳えている東京スカイツリーは、作品がつくられた明治四十一年はもちろん、この作品が設置された昭和四十年の時にもなかった景色だ。
彼らは雲に乗ってどこかへ飛んでいくところなのだろう。海の向こうの新天地か空のかなたの極楽浄土か、希望と不安のない交ぜになった顔でみな一心に行く手を見つめている。でも、台座に据えられた彼らはここから動くことができない。彼らの視線の先に現れた白い巨塔は、孫悟空が地の果て(?)で見たお釈迦さまの指なのかな。