小野路の一里塚
東京都町田市小野路町35付近
野津田公園の西口の手前に江戸時代の一里塚が残っている。現代の道路網からすれば意外な感じがするが、塚に挟まれた小道は、かつて幕府があった鎌倉から上州方面に延びる幹線道路だったのだ。江戸時代には大山詣での道として往来が多く、小野路の宿は賑わったという。
江戸から地方へ延びる街道は現代も主要道路として活用され、開発によって昔の面影を失っているが、鎌倉街道はその範疇からはずれたために奇しくもかつての姿が残ることになった。記念碑ではなく塚の形を残す一里塚は、東京周辺では珍しい存在だ。
説明板の後ろの塚はきれいに手入れされてレプリカではないかと疑ってしまうほどだが、反対側はそう言われなければわからないほど目立たない姿で森の木々に埋もれている。これでは道行く旅人の目印としては物足りないだろうと思うのだが、往年の姿はどんな感じだったのだろうか。
野津田公園にはもう一つ文化財があり、北口に自由民権運動家・村野常右衛門の生家が移築保存されている。