2015年6月2日(火)

東京水道水源林

山梨県甲州市塩山上萩原 / 塩山一ノ瀬高橋 / 北都留郡丹波山村

柳沢峠

到達記念写真を撮ろうと柳沢峠の最高点に建つ大きな石碑に寄ってみると、意外な文字が目に入ってきた。

「東京水道水源林」

峠の名前よりもなによりも、周囲の森が東京都の水道の水源になっていることの方が大事なのだ。

水源踏査記念碑

この周囲の山に降った雨は、小さな流れを集めて柳沢川から丹波川となり、奥多摩湖を経て多摩川へと流れ込んでいく。その水は羽村から玉川上水、あるいは村山・山口貯水池に続く地下導水管に取り込まれて浄水場へ運ばれ、都民の暮らしを潤す水道水となるのだ。以前より比率は下がったが、いまでも都の水道水の約2割は多摩川水系の水でまかなわれている。

水道水源林の総面積21,631haのうち、その約3分の2にあたる13,810haは山梨県(甲州市、丹波山村、小菅村)に属している。3.11の時にも思い知らされたことだけれど、都民の生活が他県のリソースによって支えられていることに、改めて思い至る。この深い緑は、われわれが脳天気に「いい景色だなぁ」などとのたまうためだけに存在しているわけではないのだ。

甲州市と丹波山村の境、大常木トンネルと丹波山トンネルの間の小室川出会い付近には、明治時代の東京市長・尾崎行雄が安定的な水道水の確保のためには行政(東京市、現東京都)が自ら森林の保全を行うことが重要であるとして水源林の踏査を行ったことを記した記念碑が建っている。

「尾崎行雄水源踏査記念碑」の説明