2015年9月13日(日)

南三陸町防災対策庁舎

宮城県本吉郡南三陸町志津川塩入77

庁舎跡

コースからは少しはずれるけれど、ここには絶対に寄ろうと決めていた。最後まで避難を呼びかける放送をしていた防災無線の担当職員が犠牲になったことで知られる南三陸町防災対策庁舎だ。

コスモス

津波は建物の屋上のさらに2mも上にまで達し、その女性職員のほかにも多くの方が犠牲になった。その悲劇の語り部として、骨組みだけになった建物は今も立ち続けている。

原爆ドームのようなモニュメントとして残そうという意見がある一方で、もう思い出したくないと撤去を望む声も多いと聞く。

私の前を走っていたグループも道を逸れて遺構の前へと進んでいった。

ヘルメットを脱いで黙祷するその一団の中にケネディ駐日米国大使の姿があった。こうして多くの人が慰霊のためにこの地を訪れるきっかけになる、という意味でこの建物の存在は大きい。

私のようなよそモンは、なんにもわかっていない興味本位の冷やかしじゃないか、と言われても返す言葉もないけれど、この姿を見てもまだ観光気分でいられるほど脳天気な人はいないだろう。その圧倒的な存在感に足がすくみ、言葉を発することも出来なくなる。

誰もが心から被災された方々を悼み、復興を願って祈りを捧げていく。途切れることなく訪れる人々によって、その祈りは世界中へ、そして未来へと引き継がれていくのだ。