大槻三賢人像 ・ 先賢の路
岩手県一関市駅前
一ノ関の駅を出ると、目の前に重々しく三人の胸像を載せた大きな台が建っていた。正面に「大槻三賢人像」と書かれている。わが国初の近代的国語辞書「言海」の編纂者として知られる大槻文彦と、その父磐渓(漢学者)、祖父玄沢(蘭学者)を顕彰する銅像だ。
駅前から真っ直ぐ西に延びる道は「先賢の路」と名付けられ、両側の歩道には一関出身の先覚者達のレリーフが飾られている。郷土出身者の銅像や石碑を建てる例はどこにでもあるけれど、ここまで集中的に設置されているところは初めて見た。
思えば子供の頃はよく伝記を読まされた。野口英世の左手はやけどで指がくっついていたとか、ヘレンケラーが初めて口にした言葉は"water"だったことを当時の小学生はみんな知っていた、と言うとちょっと大げさだが、それくらいのレベルの子はクラスにもたくさんいたように思う。今の子どもたちはどうだろうか。
一通り見て回って印象に残ったのは、それぞれの人の生い立ちや業績ではなく、大槻家三代の賢人が長男、次男、三男(一二三)だったことだった。半世紀以上を生きてきてこのレベルとは、ちょっとなさけないかも。