新井宿義民六人衆の墓
東京都大田区山王3-22-16 善慶寺
「政治犯」と書くとギョッとするが、当時の基準ではそういうことになる。時の政府(お上)に対して異を唱えて処刑された6人の墓が、大森駅からほど近い善慶寺に建っている。
と言っても、謀反(革命)を企てたわけではない。直訴、今の言い方でいえば「陳情」ということになるだろうか。実情はもっと切羽詰まっていたと想像されるが、暴力行為を働いたわけでもなく、死罪にまでしなくてもよかろうにと今の感覚なら思う。
江戸時代とはそういう時代だったのだ。
直訴と聞いて斎藤隆介作の童話「ベロ出しチョンマ」を思いだした。滝平二郎の切り絵で描かれた磔刑の場面が目に浮かぶ。新井宿の6人の場合は家族が処刑されることはなかったようだが、善慶寺のHPにある記事によれば、その中の一人間宮太郎兵衛の妻は自ら家に火を放ち母子とも焼死したという。当時は事件の記録はもちろん噂話も憚られたというから、ほかの地方でも、今に伝えられず埋もれていった悲しい話は多かったかもしれない。
罪人は墓を建てることも許されず、この墓石は、別の人の墓の裏側に名前を掘ってカムフラージュされたものだ。近年になってやっと墓石の裏表を返し、今は覆い屋も掛けられて手厚く供養されている。