勝沼氏館跡
山梨県甲州市勝沼町勝沼2505付近
勝沼城跡と聞いたような気もするが、現地の案内は「史跡勝沼氏館跡」。ネットで検索しても、「勝沼城」には青梅市勝沼にあった三田氏の城跡が引っ掛かってくる。
居館跡の周囲には発掘によって復元された堀と土塁が残されており、南側は日川を天然の堀とする要害の地であった。勝沼城と言ってなんの語弊もないように思うが、武田信玄の城を「躑躅ヶ崎館」と呼ぶのでそれにあわせたのかもしれない。
居館の主とされる勝沼氏は、信玄の父信虎の弟・信友にはじまる甲斐武田氏家臣の家系だったが、その子信元の代で絶えてしまった。謀反の疑いをかけられて信玄に討たれたとされているが、ネット上で見ると別の説もあるようだ。
歴史的には逸話の少ない城だったようだが、それよりも発掘品に特徴があり、中世の武士の生活を窺い知る上で重要な遺跡であるらしい。「館跡」という名称にはその辺の事情も絡んでいるのかもしれない。
わたしは日川へ下る県道沿いの北門から入ったので説明板が少なかったけれど、旧甲州街道沿いの無料駐車場側には詳しい説明や供養地蔵などがあったようだ。