勝沼宿
山梨県甲州市勝沼町勝沼3150(仲松屋)周辺
甲州街道の「甲州」が山梨県のことだと、今さらながらに気がついた。もちろんクイズ番組風に「甲州とはどの地方のことでしょう?」などと聞かれれば間違えるはずはないのだが、今日一日、甲州市と山梨市をまわっていながら甲州街道のことは全く意識に上ってこなかったのだ。
山梨市周辺の桃畑をうろうろした後、少し距離を走りたくて勝沼まで南下してきたところで古い街並みに行き当たった。今まで見てきた自然の風景とはひと味違った歴史的な雰囲気が漂っている。街道脇の立派な松の名前「本陣槍掛けの松」を見て、あっ甲州街道か、と合点がいった。
本陣など当時の建物は残っておらず、行き交う車も少ない街道沿いの景色は、勝沼が甲州街道のなかでもっとも栄えた宿場町だったといわれていることがウソのように静まりかえっている。
幕末の皇女和宮降嫁の例にもあるように、江戸と京都を結ぶ道としては中山道の方がよく利用されていたらしい。参勤交代でも甲州街道を利用したのは信州高遠、高島、飯田の三藩だけだったというから、勝沼宿が栄えていたといっても、実際にはたいしたことはなかったということなのだろうか。
現代の旅人たちは中央高速を使い、甲州街道を継承する国道20号線ははるか南の街外れを素通りしていく。甲州街道が通る調布市生まれのわたしとしてはちょっと淋しい気もするが、少し寂れている方が風情があっていいもんだ、ということにしておこう。