柏尾古戦場跡
山梨県甲州市勝沼町勝沼(深沢入口交差点付近)
どう見ても山賊にしか見えない。鉢巻き姿のこの人は誰だろう、と思ったら新撰組の局長・近藤勇だった。山賊でなければ、チャンバラごっこに興じる子ども。近藤勇ってこんな人だったかなぁ?
勝沼宿の東の入口、柏尾橋東詰、甲州街道深沢入口交差点の角に建っているこの像は、明治時代の錦絵「勝沼駅近藤勇驍勇之図 」(大蘇芳年画)を下敷きに製作されたと思われるが、ちょっとガッカリな出来になっている。近藤勇と同郷の調布市民としては、もう少し色男に作ってほしかったな。
慶応4年(1868)3月、甲陽鎮撫隊を率いて江戸から甲府に向かった勇は、ここで板垣退助率いる官軍と戦った。像の後ろから深沢川へと降りていく道沿いには、柏尾戦争に関する説明と柏尾橋の変遷が記されたプレートが展示されている。
小径の終点は江戸時代の柏尾橋跡。今ほど架橋技術が発達していなかった昔は、川原に近いところまで下りて川を渡りまた上り返すのが一苦労だった。江戸、明治、大正、昭和と四代に渡って橋は架け替えられ、現在の甲州街道はほぼ水平に橋を渡っていく。橋の架け替え事業もさることながら、それを丁寧に説明する散策路の掲示からは、難路を切り開いてきた人々の執念が陽炎のように立ちのぼって見えるような気がした。