宝暦箱訴事件大丹波村牢死者供養碑
東京都西多摩郡奥多摩町大丹波939 輪光院
ふと見かけた案内標識に「牢死」の文字を見つけて思わず足を止めた。こんな山奥に牢獄があったのだろうか。流刑(島流し)の山バージョンとして、辺鄙な山村に送られた罪人がいたということだろうか。
道標の指示する方に進んでみると、小さなお寺の境内に三基の石碑が建っていた。左側の古い石碑が江戸時代に建てられた「牢死者供養碑」、真ん中の「義民顕彰之碑」とその建碑の由来を記した右側の碑は、昭和五十一年六月に大丹波義民顕彰会が建てたものだ。
牢獄があったわけではなく、いわゆる義民の碑、重税に苦しむ農民のために立ち上がり、刑死(牢死)した農民運動の指導者たちの供養碑だ。
死刑でもないのに、牢につながれただけで死んでしまうのか。それほど昔の刑罰は厳しく、非人道的だったということだ。それでも仲間や家族のために立ち上がった人々がいる。そのことに胸を打たれる。
山里の上に広がる青空は穏やかで、そんな苛酷な歴史があったことがウソのように思える。苦難の時を越えて、今は幸せに暮らす人々を見守る先人たちの優しいまなざしが、供養碑の面(おもて)に見えたような気がした。