押切坂の一里塚
神奈川県中郡二宮町山西363 付近
東海道の一里塚跡を見るのは、たぶん初めてだ。そもそも東海道を走ることがほとんど無いから出会うこともないのだが、一里塚そのものも失われているものが多いようだ。
二宮の一里塚跡は現在の国道から旧道が分かれるその間にあった。分かれ道の信号には「押切坂上」とある。確かに国道の方はそこから緩やかな下り坂になるのだが、旧道は全く下る気配がない。
不審に思いながらも進んでいくと、突然転がり落ちるような急坂が現れてもとの国道に合流した。下った先で中村川と塔台川という小さな川を相次いで渡ると小田原市にはいる。
坂の上の民家の庭先に「松屋本陣の跡」の標識が立っていた。一帯は「梅沢の立場」と呼ばれ休憩地として栄えたと説明板に書かれているが、確かにこの急坂ではひと息いれたくなるのも頷ける。
ここから小田原まで二里あまり。そろそろ日も暮れかけて来た。調布から延々走ってきたわたしの旅も、いよいよラストスパートだ。