2017年7月14日(金)

広告記念像

東京都千代田区隼町4-3 三宅坂小公園

広告記念像

三宅坂下、最高裁判所の角で、三人の裸婦が軽やかに舞うように寄り添っている。昭和25年(1950)に株式会社日本電報通信社(1955年から株式会社電通)が会社創立50周年を記念して建てた広告記念像だ。

三宅坂小公園

水を吐くライオンを中心に据え、両翼に階段を配した入り口の仰々しさに「何事か?」と思わされるが、これは、以前ここに寺内正毅元帥の騎馬像が置かれていた時の名残だ。

軍人の銅像は戦時中の金属供出で溶かされ、戦後、そのあとに平和を象徴する女性の像が据えられた。作者は広島・平和記念公園の原爆の子の像(1958)の作者としても知られる菊池一雄。一説には、日本で初めて街頭に置かれた裸婦像になるらしい。

台座には広告事業に功労のあった各界の著名人の名が刻まれている。松下幸之助(松下電器産業株式会社・現パナソニック)や盛田昭夫(ソニー株式会社)などのよく知った名前のなかに、もう無くなってしまった会社の関係者を見つけると時代の流れを感じる。

その中の一人、名簿の二番目に挙げられていた「岸田銀次郎(初代吟香)楽善堂主」を検索してみたら「1872年(明治5年)に卵かけご飯を食べた日本で初めての人物」(Wikipedia)という記事を見つけた。

え!?卵かけご飯に、「初めて」なんてあるの?

(追記) 2021年7月10付朝日新聞土曜版別刷りBe「はじまりを歩く」によると、雑誌「彗星 江戸生活研究」(1927)の一編に明治初期の吟香について伝える記事があり、彼が毎朝食に温飯を鶏卵和(けいらんあえ)にして食べたと書かれているのだそうだ。これが文献に残る最初の卵かけご飯の記録だという。 彼が生まれた岡山県美咲町は「たまごかけごはんの聖地」と言われているそうだ。

広告記念像について | 渡辺崋山誕生地