2017年8月24日(木)

支倉常長出帆の地

宮城県石巻市月浦(月の浦展望台) / 石巻市渡波字大森30-2(サン・ファン館)

支倉常長の像

今の今まで支倉常長は長崎の人だと思っていた。慶長遣欧使節を率いてスペイン・ローマに渡った人だ。実際は伊達政宗の命を受けた仙台藩士で、慶長十八年(1613)に牡鹿半島の月ノ浦から出帆した。鎖国前は長崎以外からも海外に行くことができた、とは思ってもみなかった。

サン・ファン・バウティスタ

これに先立つ天正遣欧少年使節(1582-1590)がキリシタン大名による宗教的な動機で派遣されたのに対し、伊達政宗の狙いはスペインとの通商交渉であったとされている。一説には、政宗が打倒徳川のためにスペインと軍事協定を結ぼうとした、という説もあるそうだが本当だろうか。

宮城県慶長使節船ミュージアム(サン・ファン館)は、慶長遣欧使節の歴史や大航海時代の帆船文化を紹介する博物館だ。使節団を乗せたガレオン船「サン・ファン・バウティスタ」が復元展示されている。

月の浦展望台に立つ支倉常長の像は、遠く海の彼方を見つめているように見えるが、残念ながら展望台の名とは裏腹に見晴らしは良くない。常長の通商交渉は成果を上げられず、帰国した彼らは禁教令によるキリシタン弾圧の影響を受けて不遇の内に生涯を閉じることとなった。そのことを暗示するかのような佇まいだ。

急坂を下りた先にある月浦の港には人影もなく、常長の無念を封じ込めて静かに眠っているかのように見えた。

支倉常長の像

※ サン・ファン・バウティスタ号は老朽化のため2021年秋以降の解体が決まり、ミュージアムもリニューアル計画が進行中だそうです。