2018年2月17日(土)

経 王 寺

東京都荒川区西日暮里3-2-6

銃弾の痕

日暮里駅から谷中散歩を始めて、夕やけだんだんに下りる手前の辻にあるのが経王寺。控えめな佇まいなので、ほとんどの人は一顧だにせずに谷中銀座の方へと歩いていく。

山門

ふと立ち止まる人も、十字路の角にお寺の山門がある風景が寺町谷中っぽくていいなぁ、ぐらいに思うだけかも知れない。

そんな人が、傍らの説明板を見てハッと驚く。そこには「銃弾の痕(弾痕)」という物騒な言葉が記されているのだ。

明治維新の際、上野で旧幕府軍(彰義隊)と新政府軍の争いがあった。その時の敗走兵を匿ったために経王寺も銃撃を受け、山門にその後が残っている。

同じ戊辰戦争のなかでも会津の戦いでは砲撃で大きなダメージを受けた若松城(鶴ヶ城)の写真が残っている。それに比べれば、戸板にあいた穴は虫食いぐらいにしか見えない。会津と江戸の違いは何だったのだろう。そんな疑問も浮かんでくる。

今年は明治150年の節目の年だけれど、維新のことって知らないことが多いなぁと、改めて思う。

(荒川区教育委員会の解説板): 大黒天 経王寺 | 経王寺山門 付門番所