2018年3月18日(日)

阿古集落展望台

東京都三宅村阿古(三宅一周道路)

復興への灯

三宅一周道路を走り、伊ヶ谷港からひと山越えて錆ヶ浜港へ下りていく坂の途中から、昭和58年(1983)の噴火の被害を受けた旧阿古集落跡が見えた。真っ黒な溶岩原を横切って海に向かって延びた火山体験遊歩道の先に、海に浮かぶ三本岳が見える。

旧阿古集落跡

道路の脇に設けられた展望スペースに立つ柱に、ソーラーパネルと街灯が設置されている。柱には「復興への灯」と書かれていた。その字は長年の雨風のために消えかけている。

傍らには由来を記してあると思われる木の板が置かれていたが、こちらは全く字が読めない。板面の雨垂れのような模様が、消えかけた字なのか、木目なのか、全く判然としない状況だ。

「災害の記憶が風化してしまう」と嘆くか、「復興が進んで、もうそんなことを思い出さなくても良くなった」と喜ぶか。そもそも木の板に書いたという時点で、消えることは想定されていたのかな、とも思う。

ここで説明されている昭和58年の前には昭和37年(1962)に噴火があり、後にも平成12年(2000)に全島に避難指示が出るほどの噴火があった。逃げ場のない絶海の孤島で永年火山と付き合って暮らしてきた三宅島の人々の覚悟、というか折り合いの付け方みたいなものが、垣間見えたような気が…ちょっとした。

三宅村の説明板