井上正鉄の腰掛石
(墓所)東京都三宅村伊ヶ谷510付近 禊教三宅島分院
三宅島は流人の島だ。郷土資料館では展示室一室を割いて流人たちの人物像や島での生活の様子などを紹介している。
彼らは「流罪」に処せられた罪人ではあるけれど、なかには権力抗争の敗者や反政府的とされた思想家・宗教者などの文化人も含まれている。非主流ではあったけれど、必ずしも悪人ではなかったはずだ。
流人たちは、牢獄に閉じ込められたり強制労働を科せられるようなことはなく、島から出られないということの他には比較的自由に生活する事ができたという。外部から隔絶された離島に新しい知識や文化を持ち込み、島民の暮らしに寄与する面も多々あった。
古来、日本には外部からの訪問者・異人を恵みをもたらす神として敬い、もてなす風習がある。民俗学者の折口信夫は彼らのことを「まれびと」と呼んでいる。島民にとって流人たちは、そのまれびとであったのだろう。
そんなまれびとの一人、井上正鉄(まさかね)はその知識を買われて伊ヶ谷の島役所に勤務を命ぜられたが、阿古で生活を共にしていた女性と離れたくないために、居を移さず5km余りの道を通い続けたという。その途中に休憩をした腰掛石が、周回道路の脇に残されている。
まれびとも普通の人間だったんだな、と思わせる心温まるエピソードだ。