2003年2月15日(土)

五島美術館

東京都世田谷区上野毛3-9-25

五島美術館

五島美術館にある三十六歌仙清原元輔は、元は三十六歌仙の名の通り三十六人の歌人を集めた上下二巻の巻物であった。大正6年(1917)元秋田藩主佐竹家から佐竹本三十六歌仙絵巻が売りに出された時、当時の金額で35万3千円の破格値が付いたという。いまなら40億ぐらいだろうか。2年後に再度売りに出されるとあまりの高値に画商が売りさばくことができず、三井物産の創設者益田孝(鈍翁)の采配によって36人の歌人と表紙に書かれた住吉大明神をあわせた37枚に切断されて当時の財界人に分売されることになった。

石仏

日本の美術史上最悪の事件だったといえる。

当時の財界人は今で言うゴルフのように茶の湯をたしなんだ。鈍翁が集めた37人もそう言うつながりだったらしい。

清原元輔はその後、東急グループの総帥五島慶太に転売されて五島美術館に収められている。彼は自ら茶室の設計をするほどの茶人であったらしい。五島美術館に集められた茶器や古美術の数々を見ると「趣味」というのはこういうものを言うのだとため息をつかせられる。金持ちの道楽と言えばそれまでなのだが。

ハケの自然を生かした庭園にはたくさんの石仏がならび、どこから持ってきたのか「右 いがうえの市 左 ひの八日市」と彫られた石塔があったりして、山里を散策している気分になる。すれ違った人の顔が、とても優しく見えた。

美術館の設計は吉田五十八(1960)。