出陣学徒壮行の地碑
東京都新宿区霞ヶ丘町10-2
敷島の 大和心を 人とはば 朝日に匂ふ 山桜花
桜をこよなく愛したという国学者本居宣長のこの歌は、特攻隊の部隊名「敷島」「大和」「朝日」「山桜」に引用されたことで有名だ。
彼の真意だったのか、後世の曲解なのか私にはわからないが、平安歌人たちが優雅に詠んできた桜は、宣長以降、国粋的なシンボルとなる不幸な運命を背負わされてしまった。戦後60年が過ぎて、もうそんなことを気にする人も少なくなったかもしれないが、春ごとのニュースに桜の名所として「千鳥ヶ淵」の名前が出るたびに、私は少し複雑な気持ちになる。
Jリーグなどの各種スポーツ観戦でにぎわう国立競技場千駄ヶ谷門脇のマラソン門の内側で若い桜の木が花をつけていた。傍らに建つ碑には、終戦間際、ここから多くの学生たちが戦場へと送られていったことが記されていた。
ここでもう一首。直接にはこの碑と関係のない別れの歌ではあるが…。
ちる花は また来ん春も 咲きぬべし 別はいつか 巡りあふべき (山家集・少将脩憲)
(2022/5/1) 建て替え後の新国立競技場に移設されたので写真を入れ替えました