「山吹の里」の碑
東京都豊島区高田1-18-1
一時期、今年のNHK大河ドラマ「功名が辻」の山内一豊と、「われに七難八苦をあたえたまえ」と三日月に祈ったという山中鹿之助を混同していたことがあった。奇しくも天文14年(1545)の同い年生まれではあるが、片や内助の功に助けられて戦国時代を生き抜いた初代土佐藩主と、主君尼子氏再興の夢破れて散った戦国武将では、「山」の字以外にほとんど共通点がないのに勘違いも甚だしい。
私が山中鹿之助を知ったのは、マンガ「巨人の星」(作:梶原一騎、画:川崎のぼる)。大リーグボール2号の打たれる日を予感した星飛雄馬が、その心境を山中鹿之助に倣って、「われに七難八苦をあたえたまえ」と語るシーンだった。巨人の星にはこのほかにも様々な故事などから引用された教訓話的なものがあって、今でもことあるごとに思い出す。
同じ頃読んだ別の本に太田道灌と山吹の話(教育委員会の説明参照)が載っていた。向学心に燃える(!?)少年の心に、道灌が無学を恥じたという話は強く印象に残っている。
私が記憶する限り、高校中退の飛雄馬はこういう話を聞かされるばかりで、自分から言い出すのは珍しい。彼もたくさんの人から話を聞かされ、道灌のように勉強したのだろう。